報告文〜2005年9月11日
若桑みどり講演会「象徴としての女性像〜絵画における性暴力イメージ〜」
 滅多に聞くことができない若桑みどりさんの話が聞けるということもあってか約180名の参加があり、10周年記念にふさわしい講演会になった。若桑さんは冒頭、大学教員をしていると毎年必ずといっていいほど小さい時に性的虐待を受けた学生に出会う、というところから話を始められた。彼女たちに対して自分が対症療法的にできることは少ないが、歴史学者として根本を変えていくのだという思いが、性暴力の視点から西洋美術史を研究する内的動機なのだと語られた。

 講演ではまず、美術史を見る前提として、ジェンダーや家父長制、セクシュアリティなどの説明からくわしく話された。若桑さんによると、人類史において1970年代まで少なく見積もっても4000年間は、「性暴力が自然な性関係だ」とされてきたという。詳しくは1970年代に初めて「女性の望まない性関係は性暴力である」と明らかにしたスーザン・ブラウンミラーの『レイプ―踏みにじられた意思』(勁草書房)や若桑さんの最新作『戦争とジェンダー』(大月書店)でも説明されているそうなので、興味のある方は是非お読みください。

 そして、今回のテーマである西洋美術史に沿った話に入った。パワーポイントで著名な絵画や彫刻が次々に映し出され、若桑さんの説明を聞く中で、それまではきれいだなと思って見てきた絵画や彫刻にこめられた「意味」が浮かび上がってくる。若桑さんは「レイプの絵をとってしまったら美術史は書けない。それなのにその事実を美術史家は見て見ぬふりをしている」と指摘する。西洋においてはギリシャが聖域とされているが、ギリシャ神話はレイプ図像の宝庫である。続く古代ローマもその歴史の端緒にレイプをもつ。西欧近世、近代はそれを継承してきた。次から次へとレイプの場面を描いた「名画」が紹介される。ヒューマニズムが称揚されたルネッサンスの画家ボッティチェリの「春」も、レイプを美化する解釈がされてきたが、実は若桑さん自身がこの「春」を紹介していたのだと告白し、そう言いながらも「この絵は本当に好きなんですけどね」としみじみもらされたのが印象的だった。家父長制に都合がいいように描かれている絵画や彫刻なのだが、それを私たちは美しいと感じてしまう。そして、そのことに気がつくことは難しい。若桑さん自身も40代まではコチコチのアカデミズム中心の美術史家だった。女子学生が裸の絵画や彫刻を見て「恥ずかしい」と言った時に、「恥ずかしいのは正しい」と思ったのだそうだ。

 後半、シュールレアリストのマグリットの「レイプ」という絵が紹介された。これは顔の輪郭の中に目や鼻や口の代わりに乳房と臍と性器が描かれているものだ。それが意味するところは「顔を見られることで性器が見られている」つまり「視姦」を描いているのだ。

 また、現代の日本における鴻池朋子の、少女の下半身だけがのぞき上半身に無数のナイフや獣が向かってきているような絵や、下半身を残して焼き尽くされているように見える絵なども紹介された。従来はレイプする男の視点ばかりで、レイプされて痛む女の人の絵がなかったが、この一連の絵画はその一つではないかというものだった。正直、鴻池さんの絵を見ているとつらくなる気もしたので、後者の視点の絵というのは難しいと思った。

 家父長制を脱構築しなければ世界各地で性暴力がおこる。それを変えるために男のカウンセリングをしてほしいと若桑さんは強調された。私たちの宿題ということだろうか。

 若桑さんの本業である美術史の話が時間切れの形になり、もっと聞きたかったというのが正直な感想でもあった。厳しい現実を前にすると暗澹とした気分にもなるが、「闘いを楽しめばいい。自分は笑いながら闘っている」という若桑さんのパワーに終始圧倒されたような3時間だった。若桑さん、参加者の皆さん、本当にありがとうございました。